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ぷらいべーと・たいむ

ぷらいべーと・たいむ

過去日記(99’ 9月~11月)

 

99’9/3(金)



TVで、レスリングの女子チャンピオンの特集をやっていた。
きっと、私と同年代か年下であろう彼女たちは、真に輝いていた。

実力主義の社会、猛暑の中での厳しい特訓、ファンの期待というプレッシャーの中で、
「世界一になるためには、世界一の苦しみを負わなければならない。」
と、チャンピオンの彼女は言っていた。

自分の限界を知り、それを超えてゆく、自分との戦い。
すぐに妥協してしまう、自分の心の弱さとの戦い。
自分の弱さを知っている彼女たちは、本当に強かった。

エホバの証人は、「戦いを学ばない。」という理由で格闘技を禁止している。
「格闘技は、相手を傷つけるもので、戦いにつながる」と。
幼い頃にその考えを植え付けられたため、格闘技をする事やする人それを見る人は野蛮だという考えが、頭のどこかに残っていた。

格闘技で得た力を相手を傷つけるだけのものとして、誤った方向に用いる人もいるが、それは、本当の強さではない。
エホバの証人は、この、誤った方向に格闘技を用いる人たちのことしか目に入っていない。
そして、このおきまりの近視眼的考えから、格闘技を禁止しているのだろう。

でも、格闘技は相手を傷つけるためにあるのではない。
自分を磨くためにあるのではなかろうか。
己を知り、己の弱さと戦い、人間的に成長してゆく。
それの、どこが、悪い?

人間は、それぞれが、それぞれのやり方で、己を知り、己を磨いていく。
・・・私には私独自のやり方があるはずだ。

強くなりたい。誰よりも輝いていたい。
そう思ってた。いつでも、そう思って生きてきた。
本当は舞台で輝いていたかった。誰よりも輝いていたかった。
私を見て欲しかった。でも、あまりにも才能が無い事に気付いた。
運動神経ないし、反射神経も鈍いもん。
結果がすべての世界では、どんなに努力しようと結果がでなければその努力はなかったと同じだ。
でもその努力は、自分が人間的に成長するという面においては無駄にはならないはずだ。

私もこの劇団※※で、いろいろ失敗してきたた。役も降ろされた。悔しかった。
何も出来なかった自分に、腹が立って、悔しくて涙がでた。
演出家をこれ以上困らせないために、そしていい芝居を作るために、お客様に楽しんでもらうためには、
自分が役を降りて、他のうまい役者が私の役をやった方がいいだろう、
・・・そう思って、自ら進んで、役を降りた。
演出家に切られる前に、自分で斬った・・・。

なぜあの時食い下がらなかったのだろう。
「自分はやれます。やってみせます。」って言えなかったんだろう。
私は自分に負けたんだ。

この劇団のために、演出家のために、いい芝居を作るためにと思って役を降りたけど、
結局は自分に負けただけだった。

まあエホバの証人の二世として暮らしていたら
このような種の挫折感は味わうことがなかっただろう。
でも、このとても苦い思い出のおかげで、少し強くなったような気もする。

 


 

99’9/5(土)

部屋は散らかったまま
もう一ヶ月ほど、ずっとそのまま…
片付けなきゃと思うのに、気力が出ない
あー、なんでこんなにきたないんだろう
最悪だー
友達と一緒に暮らしてるんだから、ちゃんと片付けなきゃ
もうすぐ、おばちゃん来るんだから、ちゃんと片付けなきゃ
よし、今日こそは、ちゃんと片付けよう

 


 

9/6(月)

朝から、寝てばかり…
学校には行ったけど、遅れていたから教室に入りづらくて帰って来ちゃった。
どーせ、明日から叔母ちゃんが来るし、せっかくだからとも思って、授業を切った。
まっ、いっかー。あー、気合入れて家片付けなきゃ。

この頃、人に会っていないから、どーも閉じこもりがちな性格になっちゃったよ。
昨日、S君からTELかかってきて「元気ないよ。」と言われちまった。
まぁ、会話つなぐ為だったのかもしれないけど、それにしても、テンション足りねー。
気合入れなおそ…。

 

 


 

9/9(木)

草津よいとこ 一度はおいで…

おばちゃんが来たので、一緒に草津温泉に行ってきた。
湯煙の町、草津。
浴衣で町を歩いた。温泉とはいいものだ。

おばちゃんといると、どうしても母のことを考えてしまう。
母とはあまりに対照的な人だからかもしれない。
母が、なつかしく、いとおしく思えた。
私はあのお母さんの子供なのだ、そう感じた。
お風呂で、背中を擦ってあげたくなった。
もうすぐ、あの母と会う日が来る。
私は何をしゃべるのだろう。
どう話せばいいのだろう。

 

 


 

9/11(土)

MLのオフ会に行くために早起きし東京へ行く。
結局会えなかったので、渋谷に戻り、
つかこうへいの「熱海殺人事件~最終バージョン~・サイコパス」を観る。
そして、本屋で「カルトの構図」という本を買い、下北の本多劇場に行って、
ナイロン100℃の「テイク・ザ・マネー・アンド・ラン」を観る。

神戸の「榊原」は、務所から出た後、誰が受け入れてくれたと思う?
だったら、自分が権力の側につくしかないだろ!

の、ようなせりふが心に重くのしかかった。
つかの芝居は心にズシンとのしかかる。そして、ラストは爽快感を与えてくれる。
しかし、考え直すとまた重くなる。少し泣いた。
愛が恋しくて、心が痛くなった。
ナイロンの芝居は、ベタをなるだけ排除しているので、お気楽に楽しんで見れた。
ケラの味もまたいい。なんだか対照的な二つの芝居だった。


 


 

9/12(日)

死にたい、死にたい、死にたい、死にたい
発作的に死にたくなる
心が痛い、ぎゅっとなる。
叫び出してしまう
誰かに聞かれたら嫌だという感情

だから何も考えないようにする

私は自分をコントロールできる人間だ
死にたいって思っている間も
どうせ死ねないくせに
おまえは同情を引きたいのか?
悲劇のヒロインになりたいわけ?アホか
と思っている自分がいる

苦しい、苦しい、苦しいよう
息が苦しい、心が悶える

今まで整理できていたはずだ
私は正常だ
異常になったふりはやめろ

誰か助けて

否、大丈夫。
自己管理くらい自分でできる
今、誰かから電話がかかってきたら、
私は普通にしゃべり普通に笑い普通に「おやすみ」といって電話をきるだろう
それは、裏表があるのではなく、それも私なのだ
それができるほど今私はまともだ

死にたいって思うことは悪い事なのか
自殺の手段を選ぶ事は、人間として間違っているのだろうか
最低なのだろうか
命の重みは人それぞれ違う

死にたいっていうより、逃げたいのだろうか
いや、今は逃げたいというより死にたいんだ
自分という存在自体がもういらない

 


 

9/15(水)

雨が降っている。
家庭教師のバイトをやってきた。その帰りに本屋で「自殺したい人々」という本を買った。
まだ、ちゃんと読んではいない。
どうも自殺を勧める本ではなく、社会学的な立場で「自殺」を考察している本のようだ。

自殺したい人たちのネット・・・ある意味、このネットは癒しの場所だ。
みんなそれぞれ、自分の居場所を求めているんだろう。
ネットの中に居場所を見つけ、自殺を思いとどまる人、でもそれでも自殺した人は、
死ぬことによってやっと、自分の居場所を、やすらぎを見出せたのだろう・・・か・・・。
軽い、あまりの存在の軽さ、もう、何なんだろう…。

癒されたい、・・・人を癒す事によって、自分も癒されたい、のか。

混沌

多様な価値観、それが、放任されている社会。
それぞれの思いを抱えている人の中では、カウンセラーを受けるに体質が合わない
精神病者や、自称精神病者も多いことだろう。
みんな、それぞれが、心の問題を抱えて…
私はどうしたいんだろう。

混沌

今まで、私は自分の問題がもう過去のものとして、客観的に分析でき、もう、整理できているものと思っていた。
でも、「エホバの証人の子供たち」という本に偶然出会い、JW関係のサイトを見つけMLに入り、過去を遡って考え出し始めると混乱しだした。
「ちゃんと整理できている、私は、自分で乗り越えてきた」と思う反面、「忙しさに身を任せ、ただ逃げていただけ」、ということに気付いた。
私が、不登校関係の研究をし、フリースクールのスタッフになりたいと思っていたのもすべて、私のJWの過去経験からだと分った。
私は、自分を癒したかったんだ。自分の居場所が欲しかったんだ。
そして、私が一番取り上げたかった問題は、JWの子供たち、
脱会前後において「親と子」「生と死」「JWの社会と一般社会」との狭間で苦しんでいる子供たちのことだった。
不登校問題をやりたいと思ったのは、その問題のすり替えだった。

「カルト脱会者のリハビリにおける援助者になりたい、臨床心理士の資格を取りたい」と思うようになった。でも、深く深く考えると、分らなくなる。
私は、自分自身の問題が解決しているのか?
ただ、自分自身が癒されたいだけじゃないのか?
価値観の多様化している現在、皆が求めているのは、カウンセラー的存在ではなく
同じ価値観を持つもの同士が集まれるコミュニティなのではないのか。
私は、きっと、共に歩み、共に癒し合っていける存在を求めているだけなのかもしれない。

私はいったいどうしたいんだろう?

この問題から手を引いたほうがよいのかもしれない。
この問題について何も考えずに、ただ、劇団で忙しくしていた頃の方が精神的に楽だった。
JW問題と一切関係の無いところで働き、生涯を過ごしたほうが、私の人生にとってはいいのかもしれない。

私は、止まると死ぬ生物なのかもしれない。
常に忙しくしていると、それ以上考えなくて済むから…。

でも、考えなければ、人間的に成長しないよね。
もう、よく分らない。

私は、カウンセラーになれるほど、ココロが強くないのかもしれない。
いっそ、修道女にでもなろうか…

コントロール化の錯乱状態。

 


 

9/16(木) 

「地上の楽園」の本の挿絵に出でいる人たちの笑顔が、恐ろしい顔、人を殺しそうな狂喜の顔に見えていたのは私だけ?

 


 

9/18(土)

頭が痛い。手の力が抜けていく。カラダが重い。レポートをしなければならないのに、何もかけない。バイトも休んでしまった。もう、眠りたい。

 


 

99’10/25(月)

久しぶりの日記。学校をさぼってしまった。
ゼミ課題の調査結果入力をしてたせいだけど、それにしても、最近学校に行けない。
ちゃんとしなきゃ。なぜか、無気力。死にたい衝動は治まったのになー。
芝居の稽古も始まったし、ちゃんと予定立てて頑張ろう。卒業後の進路はまだ立たないけど、とりあえず目先の予定をきちんと立てなきゃ。
あまりにも、テキト―にやりすぎてて、結局何もできてない自分がいやになる。
最近、未来が全く見えなくなってしまった。
今までは、ある程度のビジョンが頭の中で見えてたのに…。考えすぎると駄目なのかなー。

 


 

10月27日(水)

肩が凝った。最近こたつで寝てるせいかも。
M君は元気してるかな。今どーしてるんやろう。少し掲示板の内容が気になった。
私はあの掲示板には書き込みしてこなかったけど、たぶんそれは甘えたくなかったから。
昔から子供扱いされたくない性格だった。そしたらもう、甘えたくても甘えられない性格になってしまった。
ほんとかわいくないって、分ってるんだけどなー。
・・・ずっと思ってた。私は子供じゃない、だから全然寂しくないって。
自分はACじゃない、もうそんな次元は通り越した大人だ、「アダルト・アダルト」だって思ってたから、
そう思いたかったから、AC同士の馴れ合いみたいな空気空間は嫌だった。
掲示板にある他の人の書き込みとかを見て、時々「甘えんな!」って思ってしまうのは、甘えられる人がうらやましいってゆー気持ちの裏返しかもしれない。
甘えたい時に素直にその“甘えたい”を表現できるヤツは、しかも、実社会つまり外の世界でそれを上手に表現できるヤツは、
…それもきっとその人の能力なんだろうね。
うーあー時間だ。スタジオ行かなくっちゃ。舞台ちゃんと考えてないやー。やべーなー。

 


 

10月31日

日が経つのが早い。もう10月も終わり。私はいったい何をしてるのだろう。部屋が片付かないまま、10月が終わってしまった。
劇団の銀嶺祭の飲みも今日で終わった。もっと、明るく飲めばよかった。
このごろいろんなモノがたまってるせいか、飲むと泣きがはいってしまってどーもいけない。
でも私は、どーにもならないことをはっきり言い過ぎなのかな。そうやって他人を責めすぎなのかな。
どこで線をひいていいのか分らなくなる。みんな弱いから、私自身も弱いから、なんかうずうずしちゃう。

 


11月1日

一昔前のアメリカ映画みたいに、善と悪がすっきりと割りきれたらいいのにと思う。
「倒すべき悪者は統治体の成員、
だからニューヨーク・ブルックリンのべテル本部にのりこみ、銃を乱射して、統治体の古株たちをやつけ、組織を壊滅させる」
・・・そんな簡単な構図で済ませられるような復讐なら、どんなにいいことだろう。

 真実を知りたいと思ってた。自分の眼で真実を確かめたいと。
でも、私にとって真実は、つっこめばつっこむほど分らなくなり行きついた先は不毛の地だった。
真実を見極めようと、組織の裏情報を手に入れても、それ自体が事実がどうかは分らない。
そしてその裏情報が事実だとしても、それが一体なんだというんだ。
それは断片的な事実であって私の求めてきた真実はいつまでたっても闇の中だ。
しかし母にとっての真実はJWだ。
自分にとっての真実があれば、それだけでこころが満たされる。
心が満たされれば、それが虚構であろうとなかろうと人は前に向かって生きていけるんだろう。

 


 

11月4日(木)

もう、恨みも憎しみも何もない。きれいごとじゃなく、ほんとに何もない。
母にも兄にも組織にたいしても。何もなさすぎて、母に手紙の返事が返せない。ほんと、どーでもいい。
JWに残ってる人達を救いたいとも思わない。いくら虚構の世界でも、そこで幸せならそれでいいじゃん。
広い大海で溺れ死ぬより、その中にある狭い洞穴の中で、わずかな自由を楽しんで生きるほうがいいよ、きっと、楽だよ。
もう、心の中には穴が開いてて、感情はするする抜けて行き、もうすべてがどうでもよくなる。
電話も停められて、MLも見れなくなった。毎日毎日見ていたMLが見れない。でも、それでさえも、どーでもいい。
でも、ちょうどいいのかも。裏の世界に、自分の中にこもるより、もっと表に出て活動しよう。
芝居もあるし、頑張ろう。でも美術、一人でやってると、ぐだぐだしてぜんぜん前に進めない。
やっぱ、先輩や後輩がいると緊張感のせいか、もっとちゃんとやるのにね。自分に甘えてちゃーあかんね。
ちゅーか、今日パンフ締め切りやん。全然やってへんやん。やばいやん。

 今日は晴れ。外は、秋の風が吹いてる。落ち葉も目立って増えてきた。もうすぐ、冬。
ふとTVをつけると、教育TVチャンネルだった。理科の番組。
「秋になると、木の葉は枯れ落ち、なくなるけれど、その前に種をのこす。厳しい冬を乗り越え新たな季節を迎えるための種を残して死んでゆく。」
そういっていた。
そう、きっと私も、今はすべてを削ぎ落とす時期なのだろう。感情が無くても、何もなくても、それはこの冬を乗り切るためだけ。
春には新たな気持ちでスタートを切れる。そう思いたい。

 


 

11月5日(金)

ポスターパンフ作りに使ってたカッターで、ついリストカットしてしまった。
血がにじんできた。腕がしびれる。力が入らない。少しひりひり痛む。
はやくパンフ作らなきゃいけないのに。アホか。もう、絶対、しない。
ほんと、バカだ。うち、何やってるんだろ。S君、頑張ってるのに。
あー、ほんとバカだ。サイテ―。もー、頑張ろー。

 


 

11月6日(土)

かつ玄のバイト、つらかった。思わずカッターで自分の手を切ってしまった。切るの、なんか癖になってしまって、よくないな。
今日はKさんの機嫌悪くて話しかけれなかった。そうなると、なんか動けない。もっと、自分から聞かなきゃ、言わなきゃと思うけど、できなかった。
私は何も進歩してないのかな。疲れた。疲れて眠くてしんどかったけど、スタジオへ行った。少し心が晴れた。
作業が終わった後、ポスターの案の事でS君家によった。いつのまにか明け方まで話しこんでいた。
S君の力になりたいと思った。でも私は話を聞く事ぐらいしか出来ない。
なんだかもどかしいけど、みんなそれぞれのハードルを越えて行かなきゃなんないから、S君のハードルは高いけど、頑張って欲しいと思う。


 


 

11月8日(月)

母から手紙がきた。私が返事を出さないままもう3通もたまった。話が全く噛み合わない。思わず手紙をクチャクチャにしてしまった。
読めない、もう読みたくない、逃げてるだけなのだろうか、でも、あまりにも価値観が違いすぎて、考え方が違いすぎて、もう疲れる。
そーだよ、私の思いがあなたに届かないように、あなたの思いも私にはまったく届かないよ。
ねぇ、母さん、分って欲しいなんて言わないで。
いっそ、「オマエは背教者だ、サタンだ。」といわれるほうが、よっぽどいいよ。あなたを憎めるから、すべてあなた方のせいにできるから。
バプテスマうけといて、排斥された方がよかったよ。そうすれば、あなたともJWともすっぱり縁を切れたのに。絶縁状態、ほんと、すばらしいよね。
 もう疲れた。疲れたよ。わけわかんないよ。もう考えたくもない。でもね、私は今を生きたいの。
真理が何かなんて今はどうでもいい。今を生きたい。人間として、今を生きたい。それって、むなしいことなの?分ってる。分ってきたよ。だけど、生きたいの。

…おもしろき事なき世をおもしろく…

 私は生きるよ。あなたと違った人生を、楽しく、ぜったい幸せになってみせる。そして、この中で、真理を見つけてみせるよ。
この世に、絶対的真理なんてない。でも人間には、ひとりひとり、それぞれの真理があると思うの。
あなたにとってそれはJWかもしれない。だからあなたの邪魔はしないよ。でも私にとっての真理は違うの。
じゃー、私にとっての真理は何かって?あなたは聞くでしょうね。正直言って今は分らない。・・・きっとまだ本当の愛を知らないから。
でも、きっといつか、この混沌とした世の中を生きぬく事で見つけてみせるよ。
…私は、強いもん。弱いけど、強いもん。


 

 

11月9日(火)
今日、スタジオにいったら、2000年問題の話題が出た。
「大丈夫といってるのは、実は嘘の情報で、本当は、コンピューターは動かなくなり、すべてが止まってしまう。水道もガスも電気もすべて。
そして人間の文化が滅びる。しかし、そういうと、皆パ二くるので、大丈夫といってるんだ。」
というようなことを、今日の就職説明会で、Wセミナーの講師が言っていたそうだ。だから、就職活動どころじゃないかもと。
まーきっと冗談まじりにだったんだろうけど。
でももしそうなれば、一種のハルマゲドンだね。JWの予言もあながち嘘ではなくなるのかも。

 21世紀はない。その前にハルマゲドンがくる。そう言われ続けて育った。
私は1975年説を最近になるまでよく知らなかったから、私の中にあるハルマゲドンの意識は、「21世紀はない」、この言葉がまだ根強く残ってる。
あの頃は、確かにそれを信じてた。そう、あの頃は、私が20歳になる頃には、ハルマゲドンが来てるものだと漠然と思ってたよ。
「私は生き残って楽園にいってるのだろうか?」とそんなことばかりよく考えてた。
JWは嫌いだったから、楽園に行きたいとはそんなに思わなかったけど、ハルマゲドンで滅ぼされるということが怖かった。
JWを離れる事は、そのハルマゲドンで滅ぼされるということ。
しかも、JWに関わってエホバをよく知っている者は裁きの日にはよけいにひどい恐怖感を味わう事になると言われてた。
まあ、いつのまにかそんなことも、どうもよくなってたけど。
でも、ふとしたきっかけで、例えば今日のような話題が出ると、あの頃の恐怖感が少し蘇る。
家に帰ると何故だか涙が溢れた。一人で2000年を迎えるのはなんだか怖い。でも、実家にも帰る気がしない。意地を張っているだけなんかな。
誰か正月でも松本に残ってる人おらんかなー。正月を共に過ごせる人が欲しい。

 ハルマゲドンの恐怖感はもう克服できたけど、先行きのない不安感はこれからも、いつまでもつきまとうのだろう。
真実はいつだって藪の中だ。人間は、エホバの裁きではなくても、滅びるのかもしれない。そう、JW、JW以外に関わらず滅びるかもしれない。
 ときどき、生きることが怖くなる。真実を見たくないせいだろうか。でも、真実を知りたい。
終末論・・・いつの時代にも、人の心に影を落とす。今の私にとっては、もうどうでもいいことだ。今を生きよう。せいいっぱい生きよう。
 眠れない。もう4時だ。せっかくスタジオから早く帰ってきたのに。もう寝よう。

 


 

11月10日(水)

この日記って暗い?堅い?いや、別にいつもこういうこと考えてるわけじゃなくて、
もっと、明るい事とか、ほんとどーでもいいこととか、こんな自己否定ばかりじゃなくて、ナルシスト入ってるようなことも考えてんやけど、
日記となると、どーしても暗くなっちゃうわけで。って、おまえは誰に言ってんねんな。

「暗いのはできるだけ避けたい」という思いが昔はあった。自分が暗いのも、暗い人も。
だって誰かに、わたしのこと「暗い人」だと思われたくなかったから。きっと私は究極の見栄っ張りなんだろう。
見栄っ張りの部分は、今もあまり変わってないかもしれない。でも、それを認められる分だけ大人にはなったと思う。
少しずつ何かが変わってきてる。変わってないようで、逆行してるようで、それでも前へ前へと進んでるように今は思える。
 私の考え方も、劇団の仲間や反JWのネットに出会って、少しずつ変わった。なんだ、みんな暗い部分あるやんって。
話せる人には、少しずつ、わたしの事、話せるのかもしれない。
それは、同情を引くわけでも、悲劇のヒロインを演じるわけでもなく、自分の存在をありのままに伝える、ただそれだけのこと。
今の私をありのままに伝えるだけのこと。
そのせいか、なんだか最近日記が書けるようになってきた。自分の中のいろんな自分の存在を認めてあげれるようになってきたような気がする。
はじめて日記を書いたのは、アンネの日記に影響されたからだった、たぶん。
確か中学の時かな。それまでも、ちょこちょこ書いては、つづかなくて、三日ほどでやめてたような気もする。
あの頃は、日記を書くって性分に合わなかった。日記を書く事自体、なんだか暗い人のような気がして嫌だった。
書いた日記を後から読み返すと、気恥ずかしくて、なんだか腹が立って、破いて棄てたこともあった。
いちばん続いたのは15歳の時の日記だっけな。受験前だったから国語力をつけるうえでもいいかなと思ったし。すぐやめたけど。
そんつぎは17歳、これもまた受験の時。そういえば、今も就職Or進学の節目の時期だ。
まー、別にそう思って日記書き始めたわけじゃないけど。15や17の時の日記は実家にあるはず。
あの頃は、まだ、私と同じようなこと思ってた2世の存在を知らなかった。あの時の日記の内容もほとんどがJWのことと兄に対する気持ちが主だった。
17歳の時、15の時に書いた日記を読み返して、「なんだ、考えてる事全然変わってないやん。」って思ったような気がする。
今も日記に書いてることは、JWの事が多い。JWのことは、わたしの身体に染み付いて離れないから、きっとこれからも、考えつづけることだろう。
でも、少しずつ何かを悟り、そして何かを諦め、わたしは変わってきている。それが、最近わかるようになってきたこと。

 


 

11月11日(木)

ポスター・パンフも一段落着いた。立て看板ももうすぐ完成しそう。そろそろ、舞台もちゃんと考えなくちゃ。
今日は色が決まらなくて、モリッチに弱音はいちゃったよ。
…弱音はくのは、同期だけにしよ。でも、私には、美術において、ゆずれないこだわりがあるんだということに気付いた。
最初、美術嫌だったのに。不思議だね。今は美術でよかったってすごく思う。
作業も一段落着いたから、明日はコンタクト買って、電話代とデザイン代払って、年金処理して、スプレー買って実験して、できれば髪も切りたい。
洗濯もしなきゃ。あー、やることがたまってる。家庭教師もあるし。

M君の掲示板を久しぶりに覗いた。えらいことになってた。アソコに2世でかたまるのはあまりよくないかもしれないと思った。外にでなきゃ、もっともっと。
じゃないと、M君が願ってる幸せって、掴めないんじゃないかな・・・と。

 


 

11月12日(金)

雨が降った。買い物に行けなかった。寒くて、コタツに入るとそのまま寝てしまった。何もやってない。やばいなー。
あー、スタジオ行って、立て看の色作んなきゃ。
実習室のPCから、M君の掲示板を覗いた。時間が無かったので、少ししか見れなかった。
私も、かきこもうと思ったけど、実習室、人いっぱいいたし、できなかった。
冗談まじりにヒットラーにあこがれてたというM君だから、少し心配なの。ヒットラーにはならないで欲しい、と。
杞憂かもだけど、私の勝手な思い込みかもだけど、なんか今のM君はなんだかヒットラーに近づいていっているような気がして、
大事な人を、自分に意見してくれる人をドンドン遠ざけて、自分を支持してくれる人しか、身辺に置かない、ような。
まーそれはそれで、、、そうなんだけど、…なんかね、なんだか淋しくなるの。
M君が前語ってくれた「幸せ」ってのは、ヒットラーなんかになることじゃないはずだって。
内にこもらないで、、私達は、もっと外にでなきゃいけないのかもしれない。傷ついても、自分自身が汚れても…。
今のM君は、どんどん、自分の殻にこもっていってるような気がするの。それだけだと、私達の問題はいつまでたっても解決しないと思う。
外の世界に出て、自己を確立していかなきゃ・・・って、これは、私に対してもいってることなんだけど。
同じ2世だから、同じような環境で育った私達だから、それぞれが、それぞれの幸せを、掴んで欲しいと、掴んでいこうと、思うの。
だから、自分と同じ考えの2世達だけの世界に閉じこもってたら駄目かなって思うの。だって、私達はこの広い世界で生きてるんだから。
私の思ってることは、ただの感情論だけど、全然論理的じゃないかもしれないけど、
でも、私はそれが「にんげん」だと思ってるから、だからそういうの。
…憎しみという感情に負けて、すべてを見失わないで…ほしい、と。
 掲示板に何かはかきこみたいって思うけど、明日土曜日だし、NTTやってないし、あー、ちゃんと、電話代払って置けばよかったよ。
ごめんね、私はいつもただ見てるだけで。でも、あなたが、幸せになってくれる事をほんと願ってる。
それは、恋愛感情でもなんでもないけど、ただ素直に、同じ時を過ごした戦友として、そう思うの。

 


 

11月13日(土)

やっと、衣装替えをした。明日は、掃除機かけよう。MLが見たい。掲示板が見たい。
みんな、どーしてるんやろ。
 きつい。スタジオにいる時も、何もかも。・・・実家に居た頃の話題が出る。
わたしは、昔の記憶があいまいで、適当に後から思い出を作ってて、でも、それは、嘘ではなくて、
だから、あの頃の事、テキト―にみんなに話しちゃうけど、なんか、カラカラしてる。
わたしの話すことは矛盾してるけど、嘘じゃないもん。あー、もう、やだよ。もう、何も言わんとこ。ハァ。

 だいちゃん、だいちゃん、吉原大輔…
小6の時、よっちゃんとつきあった。
とはいっても、キスしたこともないし手をつないだことさえなかったし、付き合ってるとまではいえないかもしれないけど、
家の斜め向かいのスナックの屋上に作った秘密基地で、交通科学博物館で(なんでそんなとこ行ったんやろか)、よくいっしょに遊んだ。
二人きりではそんなにしゃべらなかったけど、ただの子供のお遊びだったけど、それなりに楽しかったのかもしれない。
当たり前だけど、そのことは親に隠してた。
よっちゃんたちと遊ぶために親に言い訳をつくって、家を出るのにも苦労したし、エホバを裏切ったと、罪悪感もすごくあった。
よっちゃんには、私がJWだってことは、何も話さなかった。普通の子を演じてた。クリスマスもバレンタインも、普通にやった。
男の子に、はじめて、チョコを渡した。渡す事がうれしかった。でも、つきあうということには、抵抗感と罪悪感があった。
それは、エホバへの純粋な忠誠心からだろうか、それとも、こんなことしてると、ハルマゲドンで滅ぼされるという恐怖感からだろうか、
または、あいつにやられたことによる男性不信のせいだろうか、わたしの元々の性格からだろうか。
きっと、すべての要因がからみあっているのだろう。
 だから、よっちゃんからきた手紙に返事を返せなかった…。返事くれって書いてあったのに、返さなかった。
返そうと思ったけど、これ以上仲を深めるのが怖くて、返せなかった。
結局、うやむやに終わってしまって、その後、よっちゃんとはなんにもしゃべれなくなった。
何も言えずに終わってしまった。苦い想い出。今はもう、どうでもいい人だけど。
 でも、あの頃から、私は急激にJWから離れていった。「集会に行きたくない」って、こわごわではあったけど、はじめて親に、はっきりと言った。
お祈りの時、はじめて目を開けた。あの頃は、すっごく、広い世界に憧れていた。JWから出たくて出たくてしょうがなかった。家出に憧れていた。
とにかく、あそこから出たかった。すべてのしがらみから抜け出したかった。

今わたしは、その頃、憧れていた、広い世界にいるんだね…。

 



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